「浴泉消息」(佐藤春夫):藤田書店がおすすめする詩
一 大ぶん熱が出ました
隣室の客は男ふたりだ。
酒をのんで、いつまでも
何だかくだらない議論をしやがつた。
やつと寝たと思つたら
ひとりは直ぐと怖ろしいいびきだ
ひとりは又すばらしい歯ぎしりだ
これではまるでさつきの議論の続きぢやないか。
そのいびきをかうして聴いてゐると
自然豚のことが思ひ出されるし 歯軋りの方は
まるで柱時計のぜんまいを巻いてゐるやうだ。
おれは豚小屋の番人になつて番小屋の柱時計に
油の足りないねぢをかけてゐるのか知ら……
ゆうべの盗汗のしみ込んだこの掛けぶとん
何だかほし草のにほひがして来た……
二 だんだんよくなります
浴泉は毎日わたしのおできの
岩苔のやうにこびりついた奴を洗ひ落とすが、
谷川の水は毎晩、私の心に流れこんで
それが心の古疵に何としみるかよ。
ひとりぽつちの部屋に月がさすから
電燈を消したら
おれの眼から温泉が出たつけ。
三 よほど快方に向かひました
秋になつたら
小さな家を有たう
小搨一縁書百巻
そして
煙草とお茶とのいいのが飲みたい、
そこには花畑がいる、
妻はもういらない
童子を置いて住まう、
童女でもわるくはない、
さうだ、それよりさきに
一度、上海へ行つて
支那の童女を買つて来よう、
おもちやのやうに着飾つた
十四ぐらゐのがいい、
木芙蓉の莟のやうな奴はいくらぐらゐするだろう?
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